あなたが普段されている活動の先には、どんな社会がありますか?あなたは、世の中がどんな社会になったらいいなと考えていますか?これをビジョンと呼ぶそう。ちなみに私は「自分らしく生きていく人を増やす」というビジョンを想い描いている。「自分らしく」という耳障りのよいこの言葉(笑)「自分らしい」っていったいなんなのだろう?!色んな角度から私なりの解釈はいくつかあるが、1つ強く思うのは、「自分らしい」そんなものない。ってこと。
生命とはなにか?意識とはなにか?自分とはなにか?みたいなことを、やんわり考えたくなる時期が、定期的に訪れる。先日もそんな時期があり、考えていた。正確には、ヒントになりそうな誰かの答えを漁っていた。
その中で、養老孟司先生は、「人間が意識していないものが自然」だとおっしゃっていたり、生物の本には、「人間が意識でできているものは、10%にも満たない。」と書いてあったり、福岡先生のお話によると、生物(もちろん人間含む)というのは、長い目で見れば、“気体のように流れているもの”ということだった。
学者さんたちのいくつかの本や動画を読んだり見たりして分かったのは、自然の観点から見たら、
- 人間というものに、自分ていうものもないし、意味なんていうものもない
- 人間の意識はただその気体みたいなものに乗っかっているもの
ということだった。
でも、この自然の中ではとってもチッポケな意識が、こんなでっかいビル群を作り、宇宙がどうやって始まったのかから、肉眼では見ることのできない原子のの中になにがあるのかまでまで解明し、時代をつくり、歴史をつくり、精神面から言うと、一晩中眠れなくなってしまうほど悩み考え込んでしまったり、ときには自分を殺めてしまうくらい思いつめてしまうケースもあったりする。逆に、毎日幸せだなと、感じるこの心も、意識のせいだったりする。
要するに、霞のなかのちっさなチリみたいな意識のくせに、影響がかなりデカイということ。むしろ、それがすべてという感じさえする。(実際、気づいていないもの、見えていないものは、その人にとってはないものと同じ)そう考えると、見ようとしたいものは見えてくるのではないか。すぐに見えなくても、見えるようにしていると、そのうち見えてきそう。
私は、たまにほんの少しのスパイスはありつつも、基本的にはいつも、“楽しいな” “面白いな” と感じていたいし、美しい世界を感じたい。そこで過ごしたい気持ちがある。そういうことに幸せを感じる。どうやったら楽しくて、面白くて、美しい世界で過ごせるの、考えてみると、自分自身の目の前にすでにある「楽しくて、面白くて、美しい」に気づくことなのだ。(青い鳥を探しにいったらすでに家の中にいた、という話みたいですが、そんな感じ。)
人間という生物は、ただ流れているだけで意味はないし自分というものはそもそもない。だからこそ、あれこれ難しいこと考えないで、心の赴くままに、見たいものを見よう。見たい世界を見に行こう。
あなたが見たい世界はどんな世界?